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07

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嵐/冒険もほどほどに(連載7)
海岸線に出たり山間部に出たりの道のりだった。
少しずつでも良いから前に進もう。5分走って10分休む。10分走って5分休む。何度これを繰り返した事だろう。気の遠くなるような進行だった。時折、雨が弱まるとホッとした。究極を味わうと、それ以下には動じなくなるものだ。「こんな所で鍛えてどうするんだ!」と、もう一人の自分が冷静になって見つめていた。

手がかじかんでブレーキやクラッチの操作が困難になったので、グローブを絞った。グローブは滅多に洗わないからオイル交じりの茶色く汚れた水が滴り落ちる。「すごく汚い」絞ったグローブをマフラーに置くと「ジューッ」と音がして白い水蒸気がモクモクと上る。革と土とゴム製品が同時に焼けたような独特な匂いが辺りに漂う。

そうやって暖めたグローブは、着けると心地が良くて そこに、優しさのような物を感じる。しかし、それもつかの間、数秒後には冷たさが舞い戻ってきた。

0℃に近い気温と冷たい風、そしてドシャ振りの大雨と足取りの悪い道。総ての最悪が重なり、普段より数倍の力でハンドルを握っていた。次第に肩と首が究極に凝りはじめて、そこから刺すような痛みを感じ始めた。

寒さに震えだすとそれは止まらない。しかし、気持ちのコントロールでどうにでもなる事を思い出した。これはセカンドウインドウやランニングハイによく似ている。限界を越えはじめると、最初は総ての感覚が鈍くなる。次に体全体が不思議な幕に包まれたように狭い場所へ入ったような感覚の中、ある感覚だけが妙に敏感になる。やがて意味不明な笑いが込み上げ嬉しくなってくるものだ。

顔には絶えず笑みが浮んでいる事にもう一人の自分が気が付いている。多分、人はこの箍(たが)が外れてしまった時に暴走するのだろう。そんな気がした。暴走を始めると何処に突っ込もうが、何をしようが無敵になった気分になってしまう。もう一人の自分がそれを抑制しようとしてコントロールを始める。人間はそのどっちが勝つか負けるかで明暗が決まるような気がした。



数十メートルからジャンプと言ったような究極なスタントを経験した事はないけれども、以前、スタントシーンを演じる時に、必ず起こっていた現象がある。それは自分が2人以上居る感覚になる事だった。

例えば、セットの中で爆発する階段を落ちて行くシーンを例にとると、火薬をこまめに数十ヶ所仕掛け、派手に破壊される仕掛けの大道具類と、そこで数十本のスモークを炊く。これらの準備に多大な人数と時間が掛かけるのである。だから1発でOKを出さなければならない。その時は、極度なまでに集中して、いつでも自分を興奮状態に突入させれられるように興奮と冷静をキープする。

すると、監督のスタートが掛かった瞬間、幽体離脱のような現象が必ず始まるのだ。

カメラの横、もしくはその上空から撮影全体が引いた感じで見渡せて、何もかもがゆっくり見えて来る。何をどう撮影したのかや、今、何が起こっているのか、カメラの動きも総て捉えているのだ。

究極な時は、カメラ後ろにいるスタッフが、ペンを足元に落として拾い上げたとしたら、そんな些細な動作までも克明に頭の中に残っている。

だから何をどう撮影したのかは、ラッシュフィルムを見前に分っている事が多い。他のスタントマンにもこの事を聞いてみると、同じ体験をしている人が多かった。誰しも他の場所から自分を見ているような話し方をする。

話は旅に戻り、私生活の中で「何故にこんなにも究極な困難に立ち向かわなければならないのか?」しかも、これは、一度や二度の出来事ではない。「もっと楽な生き方や方法もある。」いつも身に降りかかる困難が度を越している様な気がする。

思い出せば、上海のイベントで10万人規模の大暴動に巻き込まれた事がある。これを話し出すと長くなるのでここでは書くのは止めておこう。おそらく、行き当たりばったりを楽しむ、「計画的に無計画」な性格が引き起こす物なのだろうか?それと「意地っ張りで負けず嫌い!」この2つ祟って、こんな事態を呼び込んでいるいるような気がしてならない。

もっと余裕があって、むしろ楽しんでいたかのように話せる程度の困難の方が良いに決まっている。他人から「そんな大げさな!」と笑いを取る程度で丁度いいのだ。

究極な難関突破の回数が多い事は大きな経験にはなるが、普通の生活をしている限りでは役に立つ物が少ない。むしろアドベンチャー的な人生は恥ずかしい事にも思える。

何故ならばこれらは自らが引き起こしている場合が多いからだ。「危険をあらかじめ回避出来る頭の良さを持った方がよほど偉い!」と最近は思える。「あらかじめの危険回避」それは生きる為の知恵だ。

「やってみたい」「見てみたい」と言う傲慢な野心が、自分をそちらの方向へ導いていたのだろう。しかしこれは究極の野心家ではなく究極のマゾヒズムだとも言えかもしれない。そこが微妙だ!

結論、野心がない事は平凡過ぎてつまらないけれども、ありすぎるのも問題である。今後は、その中間を取れたバランスで行こう。今、流行の「チョイ悪」の「ちょい」って所が一番いいのかもしれない。

鯨の里/串本

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